読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「リア恋」と「リア恋枠」の違い

アイドル

 

 アイドルが好きと言っても、みんながみんなアイドルに恋をしているわけではない。母親のような気持ちで見守っている人、言動の突拍子のなさに虜になってしまっている人、売れていく過程を応援したい人、ただただ顔が好きでひたすら見続けていたい人。いろんな「アイドル好き」の形がある。

 その一方で、アイドルに恋愛感情を抱いている層だってもちろんいる。というかたぶん、今でもこっちが主流だと思われる。認知されたい、LINEを知りたい、どうにかして繋がりたい、恋人になりたい。このような人々は、「リア恋」と呼ばれている。アイドルにリアルに恋をしてしまっている状態だから、「リア恋」なのだ。

 このリア恋の人たちにはひとつ特徴がある。それは、自担と恋愛相手が一致していることである。担当に対して恋をしているし、恋の相手だから担当なのである。アイドルを応援することが、イコールで恋をすることなのだ。

 

 しかし、ここまで読んで「あれ?」と思った人がいることだろう。そう、これだけでは「リア恋」の説明としては不十分なのだ。なぜなら、「自担以外に『リア恋枠』がいるんだけど?」という人が存在するからだ。

 自担はあくまでも応援する対象だったり顔が好きなだけだったり見守りたいだけだったりする。そしてそれとは別に、「リア恋枠」というものを設けて、そこに別のアイドルを当てはめて疑似恋愛を楽しむ人がいるのである。

 この「リア恋枠」というものは、「リア恋」となんら違いがないように思われる。ただ単に、担当と恋愛対象が一致するかしないかの差であるかのように思われる。しかし、「リア恋」と「リア恋枠」は、実は結構複雑な差異があるのではないかと私は思っている。

 

 「リア恋枠」という人たちは、実はそこにリアルの自分自身を投影していない。例えば自分が女子大生であれば、「女子大生の彼女がいる○○くんはこういうデートをしたり家ではこう振舞って……」ということを考える。「女子大生の “私” と付き合う○○くん」と言葉の上では表現しているが、実はそこに自分の姿はない。あくまでも自分自身の「女子大生」という記号を用いているに過ぎない。これはもちろん高校生にだって当てはまることだし、社会人にだって当てはまることである。「 “私” に飼われているヒモの○○くん」ではなく、「アラサーOLに飼われているヒモの○○くん」なのである。

 私がこう断言してしまうのは、「リア恋枠」の人たちの妄想に現れる彼女ら自身が、ジャニオタではないからである。「リア恋枠」を設ける限り、当然それとは別に「自担」がいるはずで、その子が生活の中心になっているのがリアルの自分自身であるはずだ。それにも関わらず、妄想の中では「自担を応援する“私”」の要素が完全に欠けているのだ。

 つまりその妄想に現れる自分自身は、リアルの自分ではない。妄想は、「いつか叶えたい夢」ではなく、「どこか別世界のお伽話」でしかないのだ。

 

 このアイドルの捉え方の違いによって、「リア恋」と「リア恋枠」の行動も大きく変わる。

 「リア恋」はとにかく相手に認知されようとする。相手の中に自分を割り込ませようとする。相手の人生に少しでもいいから関与しようと躍起になる。一方で「リア恋枠」は、そうはならない。認知されなくていいし、人生なんて変えなくていい。妄想の中で幸せな恋人生活を送ることが目的であるため、実在の本人がどうであろうとあまり関係ないのである。

 また、「リア恋」が求めるのが「オリジナル」であるとすれば、「リア恋枠」が求めるのは「レプリカ」だ。つまり、「リア恋枠」の人たちの頭の中にはそれぞれのレプリカが存在するため、嫉妬や憎悪などという感情がない。取り合う必要がないからである。

 熱愛報道に対する反応も大きく変わる。「リア恋」の人たちはオリジナルが誰かのものになってしまったと知れば嘆き悲しむだろう。失恋がそのまま担降りに繋がる可能性だってある。一方「リア恋枠」の人たちは、それすらも妄想の糧にしておいしく頂いてしまう。

 

 「リア恋枠」というのは結局、アイドルがリアルな恋をしているところを想像できる枠、なのである。自分自身がリアルに恋をしている「リア恋」とはまったく別物なのだ。

 

  では、「リア恋」が恋愛で、「リア恋枠」は疑似恋愛なのかというと、私はどうもそれは違うような気がするのだ。

 「リア恋」の人だって、なんだかんだで相手が自分の手を取ってくれるなんて思っていないのだ。そりゃもちろん、そういうチャンスが巡ってきたら迷いなく手を伸ばすだろう。しかしそれは、宝くじを買うのと大して変わらない。「夢を買っているんだ」という意識の下で、「リア恋」の人たちは恋愛をしているのである。そしてこれこそが、疑似恋愛の模範的な形ではないだろうか。

 では、「リア恋枠」の人たちがしているのは何かというと、それは疑似恋愛の模倣であると思う。素直にアイドルに恋愛感情を向けることの出来ない人、向けたくない人が、自分でない架空の女性を憑依させて、疑似「疑似恋愛」を楽しんでいるのではないだろうか。

 

 具体的に、「リア恋」をターゲットにしているジャニーズと言えば、中島健人中間淳太が思い浮かぶ(Jr.中心に応援しているのでどうしても若手に偏っているのは否めないけれど)。ソロコンで会場にいるファンを「彼女」と呼んだ健人くんも、浮気は絶対に許さないという固い意志でファンを束縛する淳太くんも、ファンの「オリジナル」を相手に恋愛を提供しているように見える。

 では、「リア恋枠」をターゲットにしているジャニーズって誰かいるんだろうか。少し考えてみて思い浮かんだのは、神宮寺勇太だった。もちろん彼だってファンに対して「好きだよ」くらいは言うし、「リア恋」をターゲットから完全に外しているというわけではない。しかし彼の提供する恋愛は、たいてい岩橋玄樹を介することでファンに伝わっているように思われるのだ。ファンは「岩橋そこ代われ」と思いながら、「きっと彼女にもこれくらい優しくするんだろうな」と想像して、神宮寺くんに恋をする。このとき神宮寺くんは、ファンの「オリジナル」のことは見ていない。あくまでもファンの共同体を架空の彼女に見立て、それを岩橋くんに投影して、恋愛ごっこをする。これが、疑似「疑似恋愛」ではないだろうかと私は考えている。

 

 これはあくまでも彼らが「リア恋」「リア恋枠」をターゲットにして振る舞いを決めているというだけで、実際にファンの中に「リア恋」「リア恋枠」が多いかというとそれは違うとは思う。調査を行ったわけではないので知らないけれど、必ずしも比例しているとは思わない。しかし本人たちは、そういうファンを想定してファンサービスを行っているのではないかと思う。

 

 ここまで散々語ってきておいてなんだが、私は「リア恋」の人でもなければ、「リア恋枠」の人でもない。故にこれらは他人のツイートを見たり話を聞きながら考えていたことをもそもそとまとめただけで、特に実感を持った言葉の羅列ではない。

 きっと、「リア恋」の人にも、「リア恋枠」の人にも、多種多様な疑似恋愛の形があって、この型にすべてがはまるわけではないと思う。あくまでも私の見ている狭い範囲の中で、「こういう人がいるなあ」と思って分類してみたに過ぎない。

 それを踏まえたうえで、「こういうジャニオタもいるのかなあ」くらいで留めておいて頂ければありがたいし、自分の疑似恋愛観について考えるきっかけとかになれたら嬉しい。聞いてみたい。

 僕の私の疑似恋愛、ぜひ聞かせてください。