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春はあけぼの きみはすべて

きみのものだから愛おしい

淡白茶の間のガチオタごっこ

アイドルを推す楽しさというのは、単純にそのアイドルのきらきらを浴びる楽しさのほかにもう一種類あって、それがおたくとして生きる楽しさなのかなと思う。自担に対してあーでもないこーでもないって頭を悩ませてみたり、現場に通って泣きながら自担を拝んだり、気付いたらアホみたいな量のグッズを購入していたり、そういう楽しさって別に自担がその子である必要はない楽しさじゃないですか。誰に降りてもおたくはきっとこういうことをずっと繰り返して最高にぶちあがったり最低に落ち込んだりして、でもそれ含めおたく楽しいな!みたいな。

で、私はというと今までずっとアイドルのきらきらを浴びる楽しさ以外の楽しさを避けてきた方のおたくでした。なんかそういう楽しみ方って、その子に対して誠実じゃないような気がして嫌だった。おたくとして生きるにあたって、推しではなく自分を主語にしておたくをし始めたら終わり、くらいの気持ちでいた。まあそもそも、私はアイドルを推すということがアイドルのためになるということをこれっぽっちも信じていない人間なので、「私が楽しいから推す!」以上の意志を持っておたくやってなかったから、そういう意味では私はずっと私を主語にしておたくをやっていたのかもしれない。でもだからこそ私は、とにかくエゴを押し付けるのが嫌で、「彼を推す私」「彼に貢ぐ私」みたいな自己意識を持ちたくなかった。それは結局、アイドルを推しているのではなくアイドルを推している私を推しているという状況だろうと感じていたから。

という意識の一方で、やっぱきらきらを浴びるだけで満足できないおたくって金かかるし時間もかかるんだよね、という思いもあった。「これだけ貢いだ私!」という優越に浸るためには当然ある程度貢がないといけないわけだから。で、まあ私はアイドルはあくまでも趣味の範囲で抑えたかったから、貢いだ私すごい!というアイドルを推す私を推すようなことはしたくなかった。おたく同士のマウントに巻き込まれるのも嫌だったし。これは買わないとファンじゃないとかこの現場に行ってなきゃファンじゃないとかリアタイしてこそファンとか、なんかこうファンならこうすべき!が多すぎて、じゃあもう私ファンじゃなくていいですよ別に、という気分だった。だからアイドルのきらきらを浴びる以外の楽しさを避けていた。

そういう理由で私はずっと担当制度も忌避していた。担当制度は責任が伴う重い枷であるというのが私の解釈で、私はそれに足を取られるのがすごく嫌だったから。だから今まではずっと担当はいなかった(便宜上担当と呼んでいたけれどあくまでも最推しという感じだった、ただそれをいちいち説明するのが面倒だから担当を名乗ったりもした)のだけれど、このたびの担降りに際して初めて「私この子の担当名乗りたい!!」って気持ちが強く湧いたのですよ。ほんと言うと前の推しのことはやっぱ降りると決めたときも好きだった(ただしんどさがいろいろ限界を迎えていてこれ以上推し続けると私のソウルジェムは濁りきって魔女になってしまうなという予感はあった)のだけれど、前の推しは別に担当じゃなかったから、とりあえずこの子の担当やってみるか、みたいな感じで降りるのを決めました。

そこから私の「ガチオタごっこ」が始まりました。あくまでもごっこ。根本にはやっぱり「ファンの応援がアイドルのためになるはずがない。寧ろファンの応援なんてただの呪いだ」という思考があるしその考えを捨て去ることは出来なかったので、今も本気でファン行動が取れているわけではない。あくまでもポーズというか、おたくってこういうことよくしてるよなあ!それって楽しいのかなあ!とりあえずやってみよ!という感じで、ガチオタの真似事をしているに過ぎない。

 

今の自担くんに降りてから初めてやってみたおたくっぽい行動

 

①名前ではなく「自担」呼び

これめちゃくちゃ些細なガチオタごっこと思われるかもしれないけど実はこれめちゃくちゃやばい。自担のことを「自担」って呼ぶのはマジで麻薬並みの中毒性があってめっちゃ怖い。前までは「なんで名前で呼ばないの?自担今日もかっこいい!よりも〇〇くん今日もかっこいい!って言った方が検索にも引っかかるじゃん……?どっかのお偉い誰かの目に留まる可能性とかも普通にあるじゃん……?ていうかあなたの担当をなんでみんなが知ってる前提で話すんだ……?????」みたいな疑問でいっぱいだったんだけど、自分でやってみて「自担」って呼ぶのがあほみたいに楽しいことに気付いてしまった。たぶんこれ所有の優越感みたいなものだと思うのだけれど。私の担当くん♡って常に連呼するのやばい。あとたぶん「〇〇くんが~」っていうより「私の彼氏が~」って言う方が高まるのと同じで、名前を呼ばずとも私の彼氏/担当と言えばこの子、ということを周囲も認識してくれている、みたいなの結構高まりポイントじゃないですかね。たぶん自担を自担呼びする楽しさはここかなと思う。「〇〇くん」だとそれは「△△くん」とも「××くん」とも同列扱いになってしまうけれど、「自担」だと呼び方ひとつでワンランク上だとアピールすることが出来るというのもポイント。これは本当に麻薬。

 

Twitterのアイコン本人画像

呟くたびにとっても顔がかわいいぞ(これ寧ろガチオタはあんまりやってないんじゃないだろうか、顔がかわいい以外には大して面白いことなかったです)

 

③コンサートでうちわを持つ

まあこれはまず単純にうちわを持つ機会が全然なかったというのも正直ある。なんかことごとくうちわ持ち込み禁止現場ばっかだったしうちわ持ち込みOK現場は立ち見とかなんかそんなんばっかで。ただまあ前の推しでも一応持ってはいたんだよ。二年くらい前に。ただそのときもうちわ作ったはいいけど結局双眼鏡の方を優先したくて開始2曲で足の間に挟んだレベル。松竹座8列通路横なのに!うちわ放棄するようなおたくでした!しかし今回久々にうちわ持てる現場に入れることになって、ちゃんと自担くんのうちわ作って、2時間の間手放さずに頑張りました。いうてほぼほぼ双眼鏡を覗いていたのだけれど、それでもうちわは脇に挟むなりなんなりしてどうにか2時間アピり続けました。ファンサ欲しいおたくではないのでシンプル且つなんのメッセージ性もないつまらないうちわでしたが、2時間の間ずっと「あなたのファンはここにいるよ!」とアピールし続けられたのはちょっと楽しかったです。ガチオタごっこを本気で楽しむならファンサガッツした方がいいのかもしれないのだけれど、さすがにそれは出来なかった。とにかく本人の視界に個別認識されたくないという気持ちの方が強かった。個別認識はされたくないけれど有象無象のファンの中のひとりにあなたを推してあなたのためにうちわを作るような人間がここにいるよ!ということを少しくらいは示せたかなと思ったのでそれは非常に良かったです。あんまりうちわ見てない子だから視界に入ったのかはわからないけれど、あの会場の一席を自担のうちわで埋められたのはとても良かったな、なんて誇らしい気持ちになれる程度には「うちわを持つ」という行為が非常に楽しかったです。「スタンド後列でうちわ持ってる人は何が面白いの?双眼鏡で自担の綺麗な顔見てる方がよくない??」とか思ってた私がバカでした。これもまた楽しい。

 

④Jr.大賞に投票してみる

これもまったく興味ないイベントでした。いやまあ、元推しが1位を取れるかどうか、取れそうな位置にずっといるので興味なかったというと嘘になるんですけど。でも別に「私が彼に1位を取らせてあげよう!」とか思ったことなかったし「少しでも貢献できれば!」みたいな気持ちも微塵も湧いてこなかったし手書きで字を書くの大嫌いだしあとドル誌とか半年に1回くらいしか買わんタイプのおたくだから参加したことなくて。あとなんか私はずっと「観測者」でいたかったので、介入とか干渉とか一切したくなかったんだよね。もしももしも私の1票で何かが変わってしまったら、と思うとすごく怖かった。怖いというか、そうなったら萎えるな、というのが近かったかもしれない。だからといって私の1票で何も変わらないならそれはそれで投票する意味もないし、みたいな感じでスルーしてた。でもやっぱガチオタやるならせめてJr.大賞くらいは投票するのが筋ってもんだろ、と思って今回初めて投票してみた。普通に楽しかった。一昔前に流行ったブログバトンみたいなノリで友達と楽しく4時間くらい騒ぎながら書いた。楽しかったけれど別に雑誌を複数買いしたわけでもなければ、「恋人にしたい」以外はガチで悩んだガチ人選をしてしまったので大して推しに貢献はしていない。のでガチオタスピリットが刺激されるようなことはほとんどなかった。それでも恋人にしたいJr.の枠に自担の名前を書いて理由のところに「好きだから」と書いたのはかなりテンションが上がった。結果的に自担の名前は20位以内には入っていなかったけれど、でもそれが無駄だったとはちっとも思わなかった。すごく良いなと思った。複数買いしてもっとガチで投票したらもっとガチの麻薬がキマるんだろうなと思うと恐ろしいんですけど、やってみたい気持ちもある。今年の状況次第ではやってるかも。

 

⑤オリジナルフォトセット複数買い

正直今までは複数買いどころか写真すらほぼ買ってないんだよね。ジャニショの写真とかも気に入ったのを数枚買うだけで、ほとんど持ってない。グッズというものにてんで興味を持てなかった。まず収集癖が全然ないし、あと部屋の片づけもめちゃくちゃ苦手だから無闇にもの増やすのがめちゃくちゃ嫌で、だから見送ってた。だけど降りてから気付いたら同じ写真が二枚ずつ手元にある。どうして。なぜ。こわい。しかも私、今の自担の顔に全然興味ないんだよね。顔に興味ないのに写真買ってどうするんだしかも二枚も。なのに全然やめられない。なぜ。これが依存……?中毒……?震えながらも気付けばグッズ列に並んでいる私。怖すぎ。ぶっちゃけこれが圧倒的にやばいです。初めてやったときは遠征したにもかかわらず自担が体調不良で休演とかいう状況で私の精神状態ももうめちゃくちゃだったんですけど、幕間にいない自担のフォトセ買い足したときの興奮ったらなかった。1セット目の800円より2セット目の800円の方が興奮度は高くて、800円でこのシャブキメられるのはお得すぎる……おたくやべえ……みたいな気持ちになった。残念ながらそのめちゃくちゃキマる感覚は徐々に薄れていくみたいなので、そうなるとまたフォトセの数を増やしていくしかないんだろうな。あれ、これやっぱりおくすりなのでは……????

 

大体思い当たるガチオタごっこは以上です。他にいっぱいやってる気持ち悪い行為は前からずっとやっていることなので、たぶんそれはごっこではなく本質です。他にやってみたい行為として、「ファンレターを出す」というのがあるのですが、こちらはまず私の字がある程度綺麗になってから検討していこうと思っているので当分先になりそう。ただやっぱり個別認識だけはされたくないのでものすごい葛藤が生じそうだなあと思いつつ、有象無象にありきたりなファンとして一通くらいお手紙を出してみたい気持ちはすごくあります。

ガチオタごっこをしてみて、実際に担当を名乗ってみて、そしたらびっくりするくらい今の自担の担当として順応してしまったことにはびっくりした。あんなに悩んでたのが嘘みたいにすっぱり……とかいうとまあ嘘になるんだけれど。本当にすっぱりできたのは担降りして初めての自担現場で、「あーもう私はこの子だけ見れたらいいんだ!!」って思っちゃったからようやくすっぱりできたというのもあるんだけれど。でもそうやってすっぱり出来たのも、「自担だから自担だけ目で追うのは当然」という意識があったから。本当は元推しの方がやっぱり魅力的に思えてならなかったから、ガチオタごっこしつつ元推しも推してこ!とか思ってたけどガチオタごっこの威力って凄まじくて、掛け持ちとかやってられるか!!この子を見ずに何見るんだよ!!!という思考になってしまうんだよね。すごい。

ただガチオタごっこ、本当に楽しいんだけど、いずれごっこじゃなくてほんとのほんとにガチオタになってしまうのかなと思うと少し怖い面は正直ある。今はまだ「ごっこ」という自己認識があるから、他人からのマウントに怯まないし何か出来ない項目があってもあんまり病まないけれど、「ごっこ」じゃなくなってしまったら、些細なことで自分自身から減点してしまうのかなと思うと怖い。あれが出来なかった自分はファンじゃない、とか、そういう呪いを自分自身にかけてしまいそうでそれはすごく恐れている。けれどそういうマウントの中で生きるのもまた、一種の興奮がありそうで「いいなあ」と思ってしまうんだよな正直。

ただやっぱり「ごっこ」から抜け出すためには「応援は自担のためになる!」って本気で信じるところから始めなければならないので、なかなか前途多難かなと感じている。やっぱりまだ自担をダシにして謎の信仰ごっこを始めてしまったという認識が抜けなくて、なんだか誠実じゃない感覚はずっとあるので。そこと折り合いをつけて、お手紙を出せたら、少しずつガチオタになっていくのか、それとも自分には向いてないでぱったりとやめてしまうのかはまだ分からないけれど、まあこれからもゆるくおたくやっていけたらいいなと、ガチなのかゆるいのかよくわかんないけど、そう思っております。